終われない夏休みのヲタハッピーライフ

1998~ハロープロジェクトを応援してます

僕のモーニング娘。物語1 〜愛の種5万枚手売り編

ここからは懐かしい想い出と共に・・・

愛の種


ASAYANと切っても切り離せないのが初期モーニング娘。ですよね。 僕は会社の先輩(当時40代&2人の子持ち)の家のケーブルテレビでASAYANを見たのが最初でした。 サッカー、そしてゲームとゆ〜共通の趣味があり、そこに遊びに逝くたびに、毎回欠かさず録画してあるASAYANのビデオテープを見せられ・・・そのうち見るのが楽しみになってましたね〜。 今思えば、あからさまなヲタ洗脳に簡単にハマった訳ですねww


そんな中で、会社の先輩が「愛の種5万枚手売り@福岡」のイベントに逝く!とか言い始め、僕にも一緒に逝くように熱心に勧めてきました。 先輩は「一緒にデビュー出来る様に応援しようよ! オワティだって彼女達がデビューして歌って欲しいでしょ? キャナルまで車も出すから〜」と誘惑してきますw 僕は必死に抵抗し「いやいや、テレビで見るだけにしとかないと、握手とかしたら戻って来れなくなりますよ!!」と言って断り、結局は先輩も僕も逝かなかったんですよね。 いや〜今思えば信じられないな(ノ∀`)


この愛の種の楽曲自体は、そこまで好きでなく妙に古臭い感じの歌だな〜なんて思ってたのを覚えてますね。 まだまだ僕がヲタ以前の一般人だった時代の話ですねw












千奈美に・・・

ASAYANでの初期モーニング娘。の扱いです。

モーニング娘。ユニット名決定の瞬間


これを見て頂ければ、「モーニング娘。」は嘲笑の対象みたいな感じからのスタートだった事が分かって頂けるかと。 だからこそ!俺達ヲタが応援しなきゃ!!って思わせるのが狙い・・・って訳じゃなくw普通に毎回のASAYANがこんな感じでしたね。


この言わば底辺から出発して・・・「モーニング娘。」の名を「国民的アイドル」や、女の子の憧れる「職業」とまで言わせしめる様になった、オリメンの生き様は、まさにロックだと思います。 僕も、いや世の中の誰もが、「モーニング娘。」が今の様になるとか想像すらしてなかったでしょうしね。 そう考えると10年って伊達じゃないですね〜マジリスペクトですよ。